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耳鼻科開業医の趣味と実務と日常


by a-jibika

CTが欲しくなった。

いつもは見ることもなくゴミ箱に直行する、医療機械屋から送りつけられてくるパンフレット。
ところがアールエフ社からの「X線室のいらないCT」の案内は、ちょっと気になってしまいました。何せ何とか手の届きそうな価格、しかもわずか一坪ほどのスペースがあれば設置出来るというのは魅力的です。う〜ん、気になる。。
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# by a-jibika | 2013-08-17 13:28 | 診療あれこれ

久しぶりの投稿です。

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日付が変わって、今日はクリスマス。しかも今年も残すところあと1週間となりました。
今年やり残したことは、あるような、ないような。
ちょっと落ち着かない年にはなりましたが、診療の面ではまあ無事にやってこられたのは
何よりです。

来年は電子カルテに移行することを考えています。それに伴ってレセコンも入れ替えたいと
思っています。
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# by a-jibika | 2011-12-25 01:24 | 経営秘話
SEOっていうのはsearch engine opitimization、日本語で言えば検索エンジン最適化、つまりyahoo!やgoogleなどでユーザーが検索した際に上位にヒットしやすくすること。そのためのテクとしては、サイトの構造を検索サイトから高く評価を受けるよう作り替えたり、自身のサイトへ他のサイト、特に有力なサイトからリンクを貼ってもらったりというようなことがあります。
ただし、サイトのアクセス増加が、即自分の収入につながるわけではなくて、本業があってその宣伝のためのサイトであれば、いかに自分の所の商品を買ってくれる人、自分の所のサービスを利用してくれる人などに、自分の店や会社等々を知ってもらって、お客さんを増やすかが収入へとつながってくるわけです。これが、search engine marcheting略してSEMです。

さて、当院も実はサイトを運営しています。医院の所在地、休診日、院長のプロフィールなどの基本情報、診療の内容などを紹介するとともに、耳鼻科領域の疾患についての解説なども掲載しています。サイトの制作から運営まで他人に任せることなく、すべて自分で行っています。委託の経費を減らしたいというのもありますが、いかにも専門業者に頼みましたっていうサイトでは、自分の理念が伝わらないだろうというのが一番です。

それで、全部自力でやってどれぐらいのアクセスがあるのかというのが、下のグラフです。
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1日毎のユニークユーザ−数(すなわち当院のサイトを訪問して下さった人数)の過去1年分のデータです。なお解析にはgoogle analyticsという無料解析ツールを受かっています。
1年前の今頃は100前後だったものが、今や200から300ですから、まあまあ順調な伸びかと自分では思っています。

ただ、だからといってそれがたくさんの患者さんを集めるのに有効に作用しているかどうかは疑問です。
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それについては、サイトを見てくれている方の所在地が山形県(もしかしたら市かも知れません)の方のみの1年間の推移を見てみると、全体のユニークユーザ−数ほどには増えておらず、現在も1日10名前後であることが分かります。キーワード“山形”、“山形市”、“山形県”などにつきましてもヒットしやすいようには作っているつもりなのですが、思ったように地元の方にはサイトを見て頂けていないという結果です。この辺が、今後のサイト作り、運営の鍵となりそうだと思っています。

それから、今回もう一つ見て頂きたいグラフがもう一つあります。
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これはiPhoneからのアクセス数です。1年前は0だったアクセスが、現在は1日あたり10~20件ありまして、決して無視できない数字。しかもどんどん右肩上がりに増えていることが分かるかと思います。iPhoneでは、PCサイトもそのままのレイアウトで見やすく、操作しやすくできています。その辺が携帯と違うところの一つです。まだまだ普及率では従来型の携帯(いわゆるガラケー)の方が、iPhoneなどよりも遙かに多いのですが、iPhoneのユーザーは積極的にPCサイトにアクセスしていると考えられますので、今後普及率も高まるであろうことを考慮すればなおさら、SEO、SEM対策上無視できない存在になってくると思います。ということで、これからは今まで以上に、iPhone向けのレイアウトも作り込んでいく必要があるでしょう。
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# by a-jibika | 2010-10-09 17:04 | 経営秘話

研究か臨床か

医者の仕事には大きな二本柱があります。それは臨床と研究。臨床とは患者さんの診療で、研究には基礎的なものもありますし、臨床データをまとめたりするものもあります。研究か臨床かの比重は、環境や医者個人の考え方でも変わってきます。環境というのは、簡単に言えば勤めている病院の違いです。同じ勤務医でも、大学病院にいれば研究の比重が大きくなり、市中病院となりますと臨床の比重が大きくなります。開業医は大抵の場合、さらに臨床の比重が大きくなります。

私も大学病院に籍を置いていた頃には、夜な夜な基礎的な研究をしていました。データを取って、解析して、なんとか結果を出して、スライド作って学会発表、なんていう生活をしていたこともあります。ただし、研究しているから臨床はしなくてもいいなんて甘いことはなかったですし、しかも大学病院の給料だけでは生活していけませんでしたから、週に2〜3日はバイト(他の病院に日雇いで出向き診療してくること)もしていました。昼は臨床で夜は研究、週末はバイトという日々で、結構ハードではありました。

しかも大学病院時代の研究というのは、上から与えられたテーマだったと言うこともあって、どうしても情熱を注ぐことは出来ませんでした。大学病院には出たり入ったりで通算3年近く在籍していたと思いますが、とうとうまとまった成果を得ることは出来ず、市中病院へ就職、そして開業しました。

大学を辞めたこと、そして開業したこと、その時々でベストな選択をしてきたたと今でも思っています。よく小説やドラマなどで、ある時点まで人生巻き戻してやり直せるとしたらどうするか、なんて話がありますが、私は別の選択をしたらどうなっていたかなんていうのは、考えても無意味だと思っています。仕事のこと以外でも人生色々な選択をしなくてはいけないこともあるわけですが、決めて行動したらその結果は全部受け止めて、とにかく進むしかないんじゃないかと思っています。

ただし、今日しんみりとこんなことを語っているのには、実は訳があります。今日は耳鼻科の全国学会がお隣の仙台市でありましたので、日帰りで参加してきました。参加といっても発表するわけではなくて、もっぱら他の先生方の研究成果を聴く側です。いつもは、より臨床的と言いますか、診療に直ぐにでも役立ちそうなテーマばかり選んで聴いてくるのですが、今回はちょっと気まぐれを起こして、かなりマニアックな基礎的な話を聞いてきました。発表する演者は私よりも遙かに若いのですが、自信にあふれ、質疑応答も同じ志で研究をしている別の研究者との間で活発に交わされていました。内容はいまいち理解できなかったのですが、若い研究者の情熱に触れて、そういう生き方もあったんだよなと思った次第。

ただ仮にもう一度、研究中心でいくか、臨床中心で行くかの分かれ道の時点に、時間が戻されたとしても、結局同じ道を選ぶはずだとと思うのです。さらには例え、それぞれの結果が分かっていたとしても、選択は変えないと思います。
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# by a-jibika | 2010-05-21 23:10 | 診療あれこれ
患者さんがこちらの指示を守ってくれなくて、正直ムッとしてしまうことがあります。例えば薬の服用の仕方を自分勝手にアレンジしてしまう、生活上の注意を守らない、自己判断で治療を中断するなどなど。

そういう時につい患者さんを叱ってしまうこともあるのですが、それってどうよっていう話。まず、患者さんがこちらの思惑通りに行動してくれないと、なぜムッとしてしまうのか、ということについて考えて見ました。約束を破られたことによって病状が悪化したことが口惜しいのでしょうか。

告白すれば病状が悪化したことよりも、自分の指示に従わなかったことでムッとしていることがないとは言えないのです。しかもさらに言えば、このムッとする感情ですが、それは患者さんに責任があるのではなくて自分の側に責任があると最近気付きました。

人が感情を爆発させるのは、それを抑えきれなくなるからではなくて、そうすることによって相手にプレッシャーをかけて自分に従わせようとするから。言い換えれば「感情の爆発を道具として使っている。」という説があります。

理性が失われて感情が爆発するのではなく、ある目的を達成する手段として自分で感情を爆発させるということ。この考え方によれば、患者さんが医者の指示を無視したことが医者がムッとした「原因」ではなく、患者さんを自分の指示に従わせる『目的」で医者がムッとしたということになります。

さて、医者が自主的にムッとしたのであっても、それは患者のためを思ってこそであり、必ずしも非難されるべきことではないという意見もあります。私は、これも実は違うと思っているのです。これだと医者が治療法決定の主であり、患者さんは従となってしまいます。

かつては治療方針は専門家である医師が決定して、患者さんはそれに従うしかないと考えられていました。しかし医学的に見て最良の方法が、それぞれ一人一人の患者さんみんなにとって最良とは限りません。

ちなみにこの場合の「最良」という言葉は、最も長く生きられるとか、最も効果的という意味ではなくて、最も患者さんの幸せに貢献できるという意味です。一体何がちがうのか?極端な話、例え寿命が縮もうが医学的最良に従わない方が幸せということもあるんじゃないかと思います。

例えば忌野清志郎さんですが、喉頭癌でしたが完治(命を救うという意味で)の望める手術(喉頭全摘)あえてを避けて、放射線療法と抗がん剤による治療を選んだとのことです。医学的見地から見た最良は、おそらく救命の可能性の最も高かった手術であったはずです。

にもかかわらず手術を選択しなかったのは、喉頭全摘では声が失われるからでしょう。歌手にとって声が失われるというのは、命が失われるのと同義だったと想像します。手術すれば生きられるであろう10年、20年よりも、歌える1〜2年を選んだのではないでしょうか。

医者と患者の関係というのは、どちらかが主で他方が従というものではありません。パートナー、仲間であると考えます。例えばいくら優秀な医者でも患者さんが病状を話してくれなければ正しい診断も下せません。治療だって患者さんの協力なしではあり得ないでしょう。

医学的最良は医者が一番よく知っています。しかし、患者さんにとっての最良は患者さん本人の方が知っているでしょう。治療方決定に医者が果たすべき役割は、医学的最良が何かであるか伝えること。ただしそれが本人にとっての最良と一致しない場合には、他の方針を一緒に探っていくことなのではないでしょうか。
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# by a-jibika | 2010-05-16 21:10 | 診療あれこれ